――もともとは私も西側のお茶市場、馬連道に茶器を購入しに通っていたのですが、2008年北京五輪の際に、ごちゃごちゃしていた馬連道が立派なストリートになったことで、小さな問屋が全部吸収され、ひいきにしていたお店が全部変わってしまったんです。新しいお店と一から信頼関係を築くのは時間や労力もかかる上、家から遠いこともあって、その後は、比較的近い東郊市場の茶城に通い出しました。
その茶城を回る中で、知り合ったのが「子午塘茶社」の店主、馮霞さんです。お茶をする人というのはその所作に人格が滲み出てくるものです。馮さんはお茶の話をする時やお茶を入れるしぐさにお茶に対する真摯な気持ちが現れていました。商売というよりも、純粋にいいお茶で心を静めるために店をやっているという感じを受けました。そこが気に入って、年に数回ぐらい店を訪ねて、業界の動向や流行している茶葉など、様々な情報を交換しています。あと、のどが渇いたときにもお茶を飲みにきたりしていますね。
この四恵市場は、昨年取り壊しになった東郊市場の茶城よりも、規模こそ小さいですが、建物も新しく、それぞれの店もきれいに内装されているので、日本人には訪れやすい茶城だと思います。開業して一年余りなので、人もまだそこまで多くなく、落ち着いて買い物ができるところもお勧めですね。
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現在、日本茶・中国茶のインストラクター、気功師、ビジネスコーディネーターなど多方面で活躍する宮崎さんが北京に初めて訪れたのはまだ高校2年生の17歳のときだった。
――中国に初めて来たきっかけは、母親による強制です。(笑)
もともと、中学の頃から英語が好きで、その頃は、アメリカ留学を目指して勉強していました。ただ、気功師の母親に治療院に連れて行かれて、朝から晩まで治療を勉強したり、特に高校の頃ぐらいから、母親から中国という単語や、将来気功師に、というような言葉がよく投げかけられていました。そんな中、私自身は英語やアメリカに興味が向かっていくのですが、おそらく母親はそれを阻止しようとしていたんでしょうね。
初めて中国に訪れた気功研修も、母親が勝手に申し込んでいて、もうチケットを買ったから行こうよと強制的に中国に連れて行かれました。正直、中国には、テレビで見るイメージそのままの、暗くて、怖い、閉鎖的なイメージを持っていたので、もう嫌で嫌でたまりませんでした。
しかし、宮崎さんは、無理やり連れていかれた中国の訪問先で、意外な光景を目にすることになる。
――初めて行った中国は、観光目的ではなく、気功研修だったので、訪問先は地下鉄1号線の西の最終駅「苹果園」で降りて、さらに北に上ったところにある軍の施設の中の気功治療院みたいなところでした。当時は外国人が泊まれる施設が限られていたので、軍の施設から程近い「香山飯店」に泊まって、送迎バスで治療院に通いました。なので、初めて会った中国人も軍隊の人たちでした。医師免許を持っている人、医師免許はないが、気功師として働いている人。さまざまな人がいましたが、すごく興味を引かれたのは、皆非常に若かったことです。