2014年9月30日  
 

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<北京のお気に入り>落ち着いてお茶が選べる穴場の茶城 (4)

人民網日本語版 2014年09月29日14:01

宮崎さんはその後北京で、気功師になるという思いをより一層強くする出来事を体験した。

――最初に中国に行ってから3か月後、2回目の気功研修のために中国に訪れました。実は、その前に靭帯を切る怪我をしてしまい、病院で手術をしました。病院からはリハビリが必要だと言われたのですが、どうしても中国に行きたかったので、ギプスを本来の半分の期間ではずして、中国に向かいました。

中国に行くと、まだ足が腫れていたのを見た中国の気功の先生が治療してくれました。先生は、足を見て、針とかも使わず、ツボをポンポンと軽く触れるだけだったのですが、翌日には腫れが全部ひいて、すごく楽になったんです。まるで奇跡が起こったような感じで、何が起こっているのか、訳がわかりませんでした。そのときに、気功の治療時間の短さと効果の速さに驚き、気功は医学なんだと、目に見えない現象にも理論があるんだということを体験しました。このとき、自分が気功の効果を身をもって体験したからこそ、その後の人生を中国に捧げることになったんだと思います。

最初は2年の計画で中国に留学したという宮崎さんだが、中国滞在暦は今年ですでに19年目を迎えた。

――当初は、語学の授業と気功の先生に師事するというので2年間を考えていました。本当は軍の施設の気功センターに住み込みを、と考えていたのですが、言葉のできない外国人には厳しいと言われ、2年間語学の勉強をしながら通いで学ぶという形を取りました。でも、語学の勉強を1年半ぐらいしたときに、大学の本科生の話が出たので、試しに受けてみたら受かり、自動的に2年が4年になりました。

そこから19年というのは、正直私自身もそうですが、親も計算してなかったと思います。父親も中国は環境が厳しいし、育ってきた環境もまるで違うし、いつかこんなところは嫌だといって戻ってくるだろうと安心していたようですが、後に計算が狂ったと言ってました。

こんなに長く中国に滞在することになった理由について宮崎さんは次のように語った。

―― 一言でいうと、学ぶべきことが多すぎるというか、次々と学びたいことが出てきたということですね。もちろん、これは結果的に見ての言葉なので、そのときそのときは、色々決断に迫られることもあったのですが。

中国に来て6年ぐらいの時、ちょうど大学を卒業したころ、23歳のときにひとつの決断を迫られました。北京には、社会人を体験した日本人の留学生も、駐在員の人もいる。いくら言葉がしゃべられるようになっても、経験がないと、負けてしまうなと思いました。そのときに、とりあえず目標を10年中国に滞在しようと決めたんです。滞在のための言い訳を探すのではなく、とにかく10年。何もなくても10年、ここで自分の強みを見つけて生きて行くと。

というのも、大学を卒業して、気功の実習にも通いましたが、まだ自分の中では圧倒的な自分の強みがなかったんです。このまま帰ると、自分に対して納得できないと思いました。やりきったという感覚がなく、当初頑張って生きていこうと思った熱意がまだ燃焼しつくされてなかったんですね。だから、大学などの守られた生活ではなくて、スタート時点に戻った気持ちで、新たに何かを探し、何も変わらなかったら、帰国してできることをしようと思いました。おそらくそれが2回目の節目だったと思います。

その後、気功を勉強する中で出会い、今や宮崎さんの生活に欠かすことのできない重要なものとなったのが、お茶だった。


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