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中国残留日本人孤児を育てた93歳養母 「会いたくても体が動かない」

人民網日本語版 2015年04月21日09:06

 

毎日、食事をし、ベッドの上で休み、窓から街の景色を眺める。これが、中国吉林省長春市に住む崔志栄さん(93)の普段の生活だ。中国新聞網が伝えた。

吉林省長春市平陽街の「中日友好楼」に住んでいる崔さんは、中国残留日本人孤児の養母だ。当時養女として引き取った勝目尋美さんが日本で亡くなってからすでに十数年が経つ。しかし、この特殊な縁はまだ途切れてはいない。崔さんが今一番気にかけているのは、勝目さんの2人の子供、司斌さんと司静さんのことだ。

長春市は、かつて日本が作り上げた傀儡(かいらい)国家偽満州国の首都・新京だった地だ。1945年、日本が戦争に負けると、東北地域の戦場で戦っていた日本兵やそこで暮らしていた日本人らが一斉に日本に引き揚げて行ったが、この引揚の混乱の中、数多くの日本人孤児が中国の地に取り残された。子供たちの悲惨な状況を見て忍びなく思った中国人がこうした孤児たちを養育した。

長春市で生まれ育った勝目さんは長春市で結婚して子供を産んだ。1972年に中日国交回復が実現すると、日本政府の招きを受けた中国残留日本人孤児が肉親を捜すため相次いで帰国していった。崔さんも、勝目さんが帰国して肉親を探すことに同意した。

そして、1985年、勝目さんは18歳の司斌さんと16歳の司静さんを連れて日本に帰国した。しかし、10年後、勝目さんは病気のため日本で亡くなった。

崔さんの息子の妻、屠愛群さんは、「日本に帰国してからも、2人の孫は何度も義母に会いに来た。孫たちは子供のころから義母と一緒に暮らしていたので、毎回孫が帰るたびに、義母も非常に喜んで、尽きることなく話をしていた」と思い出を語った。

「孫たちは最近、戻ってきていない。でも、春節(旧正月)などの祝祭日には、電話がある」と屠さんが語ると、崔さんは「2人とも結婚して、忙しく、時間がない」と言葉を継いだ。

90歳を超える崔さんは、今はもう自由に動き回ることはできず、家族も崔さんと一緒のときは基本的に日本の孫のことについて触れないようにしているという。「義母は心臓があまり良くないので、孫の話題を出すことで、心配をかけさせたくない」と屠さんは語った。

第2次世界大戦が終わって70年が経ち、中国残留日本人孤児を育てた中国の養父母たちの多くも亡くなっている。日本の笠貫尚章氏の寄付によって建てられた残留孤児を育てた養父母の専用アパート「中日友好楼」にも、かつて中国残留孤児を育てた中国人の養父母29人が住んでいたが、今は崔さん1人だけになってしまった。

家族が遠く離れた日本の孫のことをなるべく触れないようにしても、崔さんの心にはいつも日本の孫への思いがある。「孫を見に行きたいが、年老いて、もう動けない」と崔さんは語った。

(編集MZ)

「人民網日本語版」2015年4月21日         

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コメント

最新コメント

介推   2015-04-21202.228.54.*
二人が崔さんに会いに行きますように。顔を見て手を握ってあげてください。それだけで崔さんは無上の幸福なのです。