早川さんと唐さんの年齢差は30歳近くある。唐さんがまだ生まれていない頃、兄である早川さんは日本にすでに帰国していたので、2人の性格はまったく異なる。早川さんは大多数の日本人と同じように物静かで穏やかである。一方、唐さんは中国人らしいサバサバした性格をしている。
唐さんが日本に来たばかりの頃、早川さんと仲好くなるまでに比較的長い時間を要したという。唐さんは、「中国では兄が外国人で、日本では私が外国人となるが、どちらも同じ母親から生まれてきた。今でも覚えているのは、日本に来たばかりの頃、兄は妻に隠れて中国から日本に渡って来た弟や妹にお金をくれた。多くはなかったが、心の中ではずっと感謝している。今では兄妹たちは常に連絡を取り合い、互いに面倒を見合っている」と語る。
早川さんは定年後、宮城県の地方自治体が主催する日本語教室や小・中学校で中国から帰国した中国残留孤児や残留婦人たちにボランティアとして日本語を教えている。日本に帰国した後も何度か中国に旅行し、現地の中国人と会話を楽しんだ。戦争について、早川さんは、「戦争は一般の人たちを犠牲にし、傷つける。戦争を経験した人は2度と戦争が起こらないことを希望している」として、「中国と日本は政治の上では困難に直面しているが、両国の一般国民は通常通り交流することができている。戦争を体験したことがない両国の若者に対し、互いに理解し合ってほしいと思う。それによってしか友好的な共存はありえない」と語った。
早川さんと唐さんは何千人にも及ぶ中国残留日本人孤児の縮図でしかなく、戦争によって運命が変わってしまった人々の中では2人の物語はごく一般的であると同時に、異常でもある。2人の成長と苦難の人生に残った戦争に関する記憶は我々に生きることに対する思考をもたらす。2人の幸せと健康を心から祈りたい。(編集MZ)
「人民網日本語版」2015年6月26日