今年は抗日戦争勝利70周年だ。時間の経過とともに、戦争に関する記憶が意識的あるいは無意識のうちに風化しつつあるが、この世から消え去ることは絶対にない。戦争に関する記憶は戦争遺跡の砲火の跡だけでなく、戦争の苦難を体験した両国民の心の中にも深く刻み込まれている。戦争は多くの人の命を奪い、多くの人の運命を変えた。さらに、中日両国の間に数多くの特殊な家族を生んだ。このほど、一組の兄妹を取材した。異父兄妹である2人の母親は日本人、父親は日本人と中国人だ。戦争によって一つ屋根の下に寄り添って暮らしたこの普通の家族は、戦争が生んだ悲劇を体現している。しかし、縁あって家族となった2人の肉親の情は戦争によってできた傷跡を互いに癒し合っている。人民網が伝えた。
妹の唐麗忠さん(53)は、吉林省長春市出身で、東日本大震災の被災地である日本の宮城県名取市の臨時商店街で中華料理店を営んでいる。店の規模は大きくないが、「漬物水餃子」など特色あるメニューと唐さんのサバサバした性格が評判となって商売は繁盛し、近所でもちょっとした有名店となっている。30年前、唐さんは家族全員で宮城県に移民した。日本に渡った理由は、よりよい生活をするためであるが、それと同時にこの地が母親の故郷であり、ここに家族がいたからだ。
兄の早川豊美さん(80)は宮城県生まれで、現在は、定年退職して老後生活を送っている。抗日戦争の期間中、日本は中国の領土である東北地域を占領し、開拓団を派遣して、多くの移民団を中国東北地域に送り込んだ。1939年、早川さんは4歳の時に、両親と妹と共に開拓団員として宮城県から黒竜江省佳木斯市に渡った。