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中国残留孤児、中国人養父母からもらった愛を次世代に (2)

抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第4期

人民網日本語版 2015年07月23日15:36

 1944年生まれの佐藤さんは、戦前のことは全く知らず、家族の話を通じて知っているだけだ。養父母はかつて、佐藤さんの実の両親の下で働いていたことがあり、両家は知り合いだった。実父が徴兵されてからというもの、佐藤家の生活は苦しくなり、子供のいなかった養父母が佐藤さんを引き取ることを申し出た。

 自分を養子に出した母を、佐藤さんは恨んではいないという。「あの時の生活は本当に苦しかった。何か別の方法があれば、母も私を養子に出したりしなかっただろう」。佐藤さんは、実母には、そうする他に手が無かったのだと信じている。「私の養父母は、可愛らしかった私を引き取ることを何度も母に申し出たという。でも、母は最後まで同意しなかった」。

 佐藤さんは「母が女手ひとつで2人の子供を育てていたころ、家が強盗に遭い、食事を作るかまどまで壊されてしまったことがあった。母は生計を立てるために、生後数カ月の私を紐で枕元に結びつけ、近くに食べ物を置き、2歳の息子を背負って働きに出ていた。夏は何とかやり過ごせたが、東北地方の冬は厳しい。最終的に、母は私を仕方なく養子に出し、自分は息子を連れて近くの村に住む中国人男性と再婚した」と語る。

 「私たちには子供がいない。私たちは、あなたの子供を、決して虐待したりはせず、しっかり育てる。今後私たちに子供ができたとしても、必ず大切にする」この言葉は、佐藤さんの養父母が、佐藤さんを引き取る時に実母に約束した言葉だ。その後、どんな苦労があっても、養父母はこの約束を守った。

 佐藤さんは「私を引き取る前、養父母に子供は無く、生活に希望がなかった養父はタバコにのめり込み、家は貧しかった。しかし、私を引き取った後、養父はまるで人が変わったように、仕事に打ち込むようになった。私を養い育てるため、養父は必死で働いた。子供の頃、家は貧しく、かまどもなかったが、養父は必死でお金をためて米を買い、粟を混ぜて、大きな陶器の鍋で煮て食べさせてくれた。当時としては贅沢なものだった」と振り返る。

 佐藤さんを引き取ったことで、養父母の生活は劇的に変化した。長年子供のいなかった養父母だが、佐藤さんが来てから3年後に息子をもうけた。「周りの人は皆、養父母の良い行いが実を結んだのだと言っていた。女の子を引き取った後に、男の子をもうけた。神様が授けてくださったのだと」と佐藤さん。

 息子が生まれてからも、養父母はこれまでと同じように佐藤さんに優しくし、時には実の息子よりも可愛がった。家は貧しく、子供が二人とも病気した時は、養父母はまず佐藤さんの病気を治療し、おいしい物は優先的に佐藤さんに食べさせた。子供の頃、養父母にひいきされていたことを話す時、佐藤さんは幸せそうな表情を浮かべた。「私は麻花(揚げ菓子)の先のとがった部分を食べるのが好きだった、養父母はそれを知っていて、私にその部分だけを食べさせてくれた」。食べ物や着る物にも困る時代、そんな風に子供を甘やかす家は少なかった。「あの頃は何も知らず、養父母がくれるものは何でも食べていた。大きくなったら、自分から弟に分けてあげるようになった」。


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