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中国残留孤児「家族みんな中国と血が繋がっている」 (2)

人民網日本語版 2015年08月17日09:33

「孤児の涙」のリハーサルをする出演者ら

しかし、帰国後の生活は、想像しているほど順調ではなかった。日本語が話せないため、掃除の仕事から始めるしかなかった。それでも、鈴木さんは定期的に、養父母を日本に呼んだり、中国に行って尋ねたりした。妹が病気になったことを知った時には、すぐに貯金を送った。沙さんが電話で「妹の命を救ってくれてありがとう」と伝えると、鈴木さんは「私の命はあなたが救ってくれた」と返答したという。

「孤児の涙」の脚本を手掛けた宮崎慶さんも残留孤児。同舞踊劇の一部の内容も自身の経験を基にしている。そんな宮崎さんは取材に対して、「この劇を制作したのは、日本政府の戦争の責任を追及するため。当時、多くの国民が日本政府に騙されて、開拓団に参加し、中国東北部に移動した。敗戦後、軍の高官は真っ先に日本に逃げ、子供や婦人は中国に残された。残留孤児は帰国後も、自由が制限され、経済的に独立できない『二等国民』になった。日本政府は帰国孤児に同情を示すことも、補償を与えることもなく、生活に困窮している人に支給される最低保証制度を適用するだけだった。『生活保護』を受けている人は、出国における制限を受ける。帰国孤児が中国の家族を訪問する権利を奪っている」と訴える。

中国で育った残留孤児は帰国した時、既に50-60歳になっており、日本語を学ぶのも難しいため、適当な仕事も見つからない。帰国孤児らが6年にわたって声を上げ続けたため、日本政府は2008年4月になってやっと、新たな支援策を打ち出した。

鈴木さんは取材に対して、「残留孤児は人生の半分以上を中国で過ごし、配偶者もほとんどが中国人。文化的意識においては、自分は中国人だと感じている。いつの時も、私の家族は皆、中国と血が繋がっている。私の孫数人も中国で中国語を勉強している。日中両国が幾世代にもわたって良い関係であることを願っている」と語った。 (編集KN)

「人民網日本語版」2015年8月17日


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