戦争の雰囲気をつくり出し、囃し立てる者が国際的にいる。例えば現在のアジア情勢、特に東アジア情勢を20世紀初めの英独摩擦や19世紀後期の英米摩擦になぞらえる。だがアジア情勢は欧州情勢と明らかに異なり、21世紀の情勢も19世紀末や20世紀初めの情勢と明らかに異なる。単純なアナロジーは社会と民衆をしばしばミスリードする。(文:銭利華・本紙特約論説員、全国政協委員、少将。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
東アジアで予想外の衝突、例えば偶発的な武力衝突が起きる可能性は一体あるのだろうか?その可能性は完全には排除できないが、どの程度あるのかは中国が決めることではない。中国軍は最初の銃弾を撃つことはないが、挑発を行い、最初の銃弾を撃ち、衝突と戦争を中国に強要する国があれば、力強い反撃を加える。
中国も米国も、そして日本も戦争の発生は望んでいないと言える。世界の大勢は依然平和と発展であるわけで、各国の経済はいずれも一定の困難を抱えている。戦火が起きれば、好転の兆しが見えたばかりの経済が破壊されるだけだ。もちろん、軍が存在するのは戦争のためだ。軍が戦争の備えをするのは戦争を抑止するためであり、十分な備えをして初めて戦争を抑止し、衝突を防ぎ、危険性を解消し、戦争を回避することができる。
戦争は国家の政治意志の競争であり、それ以上に国家の実力の競争だ。中国のGDPは昨年日本の2倍に近づいた。今年は日本の2倍を超えることが完全に可能だ。人口の規模、経済力、そして軍事力を含む総合国力のいずれにおいても、われわれは日本を遙かに上回る。中日間の貿易依存度は相当高く、ひとたび戦端が開かれれば、日本経済にとって致命的な打撃となる。