映画の映像
■残酷な戦火が告げた「日本は神の国ではない」
1932年1月に生まれた山田監督は、戦争の残酷性を自ら深く体験した。1945年5月25日、大空襲が東京を襲った際、山田監督は炎が迫り来る中、世界の終わりを感じていた。熱波に焼かれ、これ以上歩けなくなった山田監督は橋の下に隠れるしかなかった。幸運なことに通りがかった男性が濡れた綿の布を顔にかぶせてくれ、一命をとりとめることができた。当時、軍国少女だった山田監督はそれでも祈り続けていた。「日本は神の国だ。神風が吹いてきて、私を助けてくれる。もうすぐ雨が降ってきて、火が消える」。しかし、期待した「神風」は吹かず、自分の家も灰と化した。
生死の瀬戸際をさまよった山田監督は、その後、反省を始めた。「日本は神の国ではない。多くの人は騙されている」。戦争が間もなく終わる1945年8月、最後の開拓団が中国の東北地方に送り込まれた時、山田監督は「当時の自分も送り込まれる可能性があった」と考えずにはいられなかった。