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元中国残留日本人孤児が訪中 「私の娘は帰っていない」 (3)

人民網日本語版 2015年07月16日10:50

過去を思い起こしながら涙を拭う元中国残留日本人孤児

「いつの日かあの子に会いに行きたい」

残留孤児の12日のイベントに、李さんは養父母を代表して参加した。この日帰宅した李さんは、「私の娘が帰ってきていない」と悲しい気持ちになっていた。

90歳になる李さんは、未だに2つの日付をはっきりと覚えている。「1980年5月18日、1981年9月27日」。前者は娘の田麗華さん(日本名・池辺順子)が日本人残留孤児として確認された日。後者は娘が家族で中国を離れた日だ。中日両国の国交正常化は、中国の養父母が別れという無念の悲しみを受け入れなければならないことを意味していた。1981年、日本政府は中国の日本人残留孤児の捜索計画を発表、同年、中国政府の協力の下、田さんを含む第一期日本人孤児が帰国の途に着いた。

日本に帰国した田さんは頻繁に養父母と連絡をとった。生活費を送って親孝行することもあれば、生みの親の待遇はさほどよくはなく、政府の残留孤児に対する生活補助が滞っているといったやるせない思いや不安を手紙に綴ることも多かった。その度に李さんは励ましの手紙を返した。

1984年8月、娘が初めて養父母に会いにハルビンに戻った。2回目はその12年後だった。その後19年間は娘の顔を見ていない。噂では娘婿が日本で他界し、うつになっているという。

「いつの日かあの子に会いにいきたい」。李さんは娘のことをいつも気にかけていた。そして命あるうちに一度日本に渡り、一目娘の顔を見たいと願い続けている。(編集IM)

「人民網日本語版」2015年7月16日


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