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横山さんの小説デビュー作「吾輩ハ猫ニナル」は、言わずと知れた夏目漱石の小説「吾輩は猫である」のパロディだ。ユニークなのは、小説の中に通常のカタカナ表記が登場しないことだ。すべての外来語は中国語に変換され、その横にカタカナのルビが振ってある。例えば、女僕珈琲店にメイドカフェ、動漫迷にアニオタ、黄色録像にアダルトビデオなどだ。明治・大正期の小説を彷彿とさせる、古き良き美しい文体の日本語に、日本語としてはありえない漢字が並んでいる様子は、視覚的にも感覚的にも面白い。唐突に国境のない異空間にほうりこまれたような感覚に陥る。この独特な文体は、日本の文壇でも絶賛され、「日本語に新たな光を当てた傑作」、「奇抜卓抜」、「見事な漱石論」などと称されている。
実は横山さん、「吾輩ハ猫ニナル」を執筆する以前、中国で日本語教師として働いていた経歴を持つ。
――もともと日本語教師に興味を持っていたというよりも、言葉に興味を持ったことから、日本語教師になったというほうが正しいですね。
大学受験時に、数学や物理が得意で工学部に入学したんですが、入ってみると、自分の興味が工学部の専門教科より一般教養などの文科系に向いていることに気付いたんです。文系の学部編入について教授に相談したんですが、何をやりたいのかが明確でないから駄目だと認めてもらえませんでした。でも、一旦ずれてしまった興味は元には戻らず、そのうち、工学部の授業も難しくなっていき、授業を受けるのが苦痛になってきたこともあって、大学を中退しました。
とはいっても、実は僕はもともと国語がずっと苦手で、しかも無口で口下手なんです。その反動もあってか、20歳ぐらいから本を読むようになって、いろんな本を読み進むうちに、言葉というのは、人間の根本ではないかと思ったんです。そして、日本語についての言語学の本とか、そういうのが面白くて、色々と読みあさりました。当たり前のように使っている言葉も、言語学を勉強すると、実は既成概念を揺さぶられるようなことってたくさんありますよね。
大学中退後、このように読書に没頭しつつも、このままではダメだ、何か資格を取ろうと思って、資格の本を買って読んでいたら、日本語教育能力検定というのを見つけたんです。じゃ、受けてみようと、専門学校を一年通ってなんとか取得したのが日本語教師の資格でした。せっかく資格を取ったんなら、日本ではなく、海外で働こうと思いました。
こうして、横山さんは、2005年、日本語教師として初めて中国の地に赴く。
――僕が最初に日本語教師として赴任した場所は深センの觀瀾というところで、本当にすごい田舎でした。深センというと、中国でも都会のイメージがありますが、ぜんぜん想像しているような都会じゃなくて、週1回は停電、週1回はろうそくで勉強しているようなところでした。
電車も地下鉄もなく、バスに乗るにも、バス停などなく、やってきたバスに手を上げて乗ってましたね。しかも、どこに行くかも、どこに着くかもわからない。タクシーは、乗る前に、「どこどこまでいくら?高い、高い、乗らない」っていう交渉から始まる。めんどくさいですよね。
でも、色々と不便なことはありましたが、ご飯はおいしかったですね。やはり、食は広州というだけあって、食べ物は上海や北京よりおいしいと思いました。それに、どこか魅力があって、なんというか自由さがありました。気楽な感じで仕事ができたのも良かったです。