地下鉄5号線の張自忠路駅A出口から西へ50メートル程向かうと、辺りの景観の中でひときわ異彩を放つ、重厚で壮麗な西洋建築が目に入る。この建物こそ、百年の風雨と世の変転を経て今に残る中華民国(1912~1949)時代の歴史的建築物、段祺瑞執政府跡だ。
ここには、もともと清の第4代皇帝・康煕帝(1654-1722)の第9皇子・允禟の邸宅、恭親王府(後に貝勒斐蘇府と改称)と第5代皇帝・雍正帝(1678-1735)の第5子、和親王弘昼の和親王府があった。しかし、1906年、旧清朝北洋政府陸海軍部の建物を作るため、東側にあった和親王府と西側にあった恭親王府が取り壊され、新しく2組の西洋式レンガ・木造構造の建造物が建てられた。
その後、1912年、袁世凱が中華民国臨時大統領に就任した際、総統府と国務院がここに置かれ、1924年の第2次直奉戦争(中華民国における直隷派・呉佩孚と奉天派・張作霖との間に起こった軍閥戦争)後に段祺瑞執政府に転用された。中国では、1926年3月18日、段祺瑞政府軍が抗議運動で集まったデモ隊に発砲し、47人の学生・市民が犠牲になった「三・一八」事件の現場としても知られている。また、日中戦争時の1937年には、日本の華北駐屯軍総司令部が置かれた。
3階建ての美しい古典ヨーロッパ式の建築物はクリエーターの創作意欲を大いに刺激するのか、ここでは多くのドラマや映画が撮影されている。特に、中国映画ファンにとって馴染み深いのは、文革時代の少年たちを描いた、姜文(ジャン・ウェン)監督のデビュー作「太陽の少年」(94/原題:陽光燦爛的日子)だろう。主人公シャオチュンが他人の部屋にこっそりと入り込み、住人の美しい少女と鉢合わせになるシーンの舞台となったのが、この洋館だった。また、シャオチュンが、洋館の屋根から屋根をつたって、自由気ままに空中の散歩を楽しむシーンは映画の中の名シーンの一つだ。
この段祺瑞執政府跡を<北京のお気に入り>として推薦してくれたのは、デビュー作「吾輩ハ猫ニナル」で第57回群像新人文学賞を受賞すると同時に、今年6月に発表された第151回芥川賞候補にも選ばれ、一躍話題の人となった横山悠太(33)さんだ。
――僕、散歩が好きなんですよ。初めて訪れた日も、この辺りを全く何も知らずにぶらぶら散歩していたら、突然古い洋館の建物が外から見えて、面白そうだなと思って、中に入ってみました。すると、とても奇妙な、取り残されたような空間があって、裏にある洋館には人が住んでいました。ちゃんと保存されていないのですが、だから面白い。まるで密封された異空間に入り込んだような気がしました。
ここまで歴史的な建造物の場合、日本や、上海だと、政府や地方自治体が動いて、保存したり、改装したりと、お金を取って公開しますよね。でも、それによってどうしても残念な結果になってしまったりもする。そういう意味では、この建物は風雨にさらされるままに残っているということに、とても価値があると思います。
その後も何回かここに来て、敷地内にある花生珈琲館でお気に入りのピーナッツ珈琲を飲んだりしています。時々、幽霊屋敷のようなこの洋館にふさわしい老猫を見かけます。僕は猫が好きなので、それも楽しみの一つですね。