2014年10月28日  
 

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<北京のお気に入り>時代の狭間に取り残された異空間 民国の旧政府跡 (4)

人民網日本語版 2014年10月03日14:29

横山さんが最初に小説を書こうと思いたったのは、深センの学校を辞めた後、時間がぽっかりと空いたことからだった。

――創作意欲は昔からあったんだと思います。図工とか、何か作品を作るのが昔から好きでしたし。ただ、小説を書こうと思ったのは、時間があいたことがきっかけですね。本当に何もすることがなくて、そのとき思い切って小説を書いてみようと思い立ちました。それで、実際書きあげたんですけど、自分が読んでもまったく面白くなくて。

それもあって、4年ぐらいほったらかしにしてたんですが、また時間が空いたときに、もう一度書いてみようと思ったんです。書いてみると、わりと最後までうまく形になって。それと、夏目漱石の小説が好きで、漱石風に書いてみたかったので、パロディーという形式にしたことが、わりとやりやすかったんだと思います。でも、本当は、夏目漱石よりも、猫好きが先で、猫と言えば、「吾輩は猫である」ということで、パロディーを思いついたというところもあります。

横山さんがこの独特な文体を思いついたのは、明治・大正期の小説を好んで読んでいたことによる。

――漢字にカタカナのルビをふるという文体を思いついたきっかけは、やはり夏目漱石など、明治、大正の小説ですね。その頃の小説は、わりとこういう書き方があったんです。中国に来て、中国語を少し覚えた頃に、そういう小説を読むと、今日本語では使われていない漢語が出てきたり、それが中国語と符号することがあったりして、すごく興味深くて。これを、そのまま小説にしたら面白いかもしれないと思ったんです。

ちょっと大げさな言い方をしたら、あったかもしれない日本語みたいな感じですね。明治期は、日本人が西洋のものを取り入れて、新しい漢語を作っていたじゃないですか。そういった言葉が今、中国語の中でいっぱい使われているわけです。今は何でも安易にカタカナにしますけど、例えば、もし今でもがんばって、漢字にしていたとしたら、もしかしたらこんな言葉になるかもしれないと思うと、すごく面白いですよね。

現在、北京語言大学の4年生に在籍し、中国語の勉強をしている横山さん。これまでの日本語教師の経験に加え、本格的に中国語を勉強することによって、日本語に対する新たな発見があったという。

――正直教師は向いていないと思いましたね。多分、先生というよりも、まだまだ学びたい気持ちが強いんでしょうね。ただ、面白いと思うこともありました。外国人から見た日本語という視点も面白かったですし、海外で生活するというのも、単純に性に合ってました。海外にいながら、日本語を話し、日本の文化や日本のことを考えるというのが、自分としては、とてもバランスが取れていました。日本の地を離れているのに、日本語とは離れているわけではないという距離感が居心地良かったんでしょうね。

その後、中国語を学ぶようになって感じたのは、当たり前ですけど、中国語って漢字しかないんですよね。そこで、日本語を改めて考えてみると、日本語は本当に自由な言葉だなと思いました。ある人が言うには、日本語は柔らかい言葉で、いい意味でも、悪い意味でも簡単に変わってしまうし、崩れてしまう。普通の言葉をカタカナにすることもできるし、漢字にもひらがなにもできるし、遊べる部分がありますよね。

それに比べて、中国語は漢字だけなので、自由は効かないですが、一方で統一が取れているというか、ある意味、英語に近い部分がありますね。でも、日本に帰って看板とか見るとうんざりします。漢字があり、カタカナがあり、ひらがながあり、無法状態です。でもそれが、日本語の魅力でもあります。


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